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Channel: 潜在意識の達人語録
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*108以外*質疑応答【7】の645さん(ylWx4a2Y0)+649の“既にある”感覚の説明

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108以外質疑応答【7】


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

709~710 :もぎりの名無しさん:2012/02/24(金) 05:46:44 ID:ylWx4a2Y0

チケットが間違っているとか思わないし分かりやすく書いてあると思います。
上にも書いたように真理は一つですしね。
ただ、「物理的に不可能だと思えるようなことでも何でも叶う」というのが一人歩きしてしまっているような気がします。
質疑応答の解答が悪いのではなく、この認識から言葉にするならそう答えるしかないので仕方ないんだとは思います。

しかし、この認識だからこそ解答の意味が分かる部分も多く、肉体の自分視点(つまりエゴ視点)から見たらどうあっても納得出来ず、それでも「分かれば不可能な願望でも叶うんだ!」という部分だけがクローズアップされてしまい手放すどころかそこにますます焦点を当てて握り締めてしまったりします。

それがこうしたスレに度々出てくる「じゃあ100億出してみなよ」とか
「世の中全ての戦争を終わらせてみろや」とかの”何でも可能なんだろ!”という
その人のエゴを喜ばせて大きくさせてしまう原因の一つになっているんだと思います。

だから私も「荒療治やったら叶った」みたいに書いてしまったのは、書き込んですぐに失敗したと思いました。
荒療治をやったから現象化したのではなく、現象化したのと荒療治を始めた時期がたまたま一緒だっただけで、関連性は無いと思って頂ければ良いかと思います。


別の領域というものに関してもそうなんですが、
「そこは愛に溢れています」「幸せそのものなんです」「絶対的な安心感があります」
その領域を言葉で説明しろと言われれば確かにそう言うしかないかも知れないけれど
これもまた一人歩きをしてしまっています。

ループしている人達は「そういった安心感や愛に溢れてる感覚が無いってことはこれはその領域ではない」と思い込む。
もしかしたらその領域に身を委ねている瞬間があっても、他の人達と同じ体感がないから違うと。
そうやってその領域をどんどん特別視してしまい、更なる観念を持ってしまう。

その領域に行ったらすぐに何もかも解決して幸せに包まれ苦しみも一瞬でなくなる、そういうものではないんです。もちろんそういう人もいるかもですが、誰もが皆そうではない。

>>649さんの既にあるという感覚が、それ以外に解答はないというぐらいに素晴らしい書き込みだ!と周りが言えば言うほど、その感覚では無い人達は混乱し置いてけぼり感が強まり焦りも出る。
そして言い換えるなら、私の場合は>>649さんとは違う認識を持っているので
「じゃあ私の感覚は間違っているんだな、まだ別の領域には行けてないんだな」と誤解させてしまったりもします(私は誤解してませんよ、気にしないで下さいね)。


649 :628:2012/02/21(火) 19:28:22 ID:sB4ZHTV20

今まで良く分からなかった“既に在る”が何故理解できるようになったのかは、すいません、分かりません。

ただ、まさに>>642さんが仰っているように何度もこういった気付きの段階がありました。
まさにその階段の一歩という感じです。
現象化に関しては常に全てが現象化しているとしか言えません。

既に在るの感覚を説明しますと、お金を例にします。

お金が欲しいと思います。
普通、まだ手に入っていないからお金が欲しいと思う。

ですが本当に欲しいのは、友人の財布に入ってるお金とか宝くじ当たった人が持っている大金とかの“手に入っていないお金”ではないはずです。
自分の財布とか自分の口座にどっさりたぷたぷある、“手に入っているお金”が欲しいはずです。
手に入っているものが欲しい…これはちょっとおかしい。
手に入っているならもう欲しいと思わないはずだから。
既に在るお金が欲しいをイメージすると欲しいの部分が消えるはずです。

既に在るお金に意識を向けた時には渇望は起こりません。
せいぜい「ああ…これでどれだけのセロハンテープが買えるだろう(うっとり)」とか、ありがたやぁ~とか安心感とかお金のことすら忘れてるとか、そんな感じだと思います。

まだ手に入れていないお金を欲しいと思う時、ネガティブさが湧いてきて当然です。
何故なら望んでいないものを望んでいることになっているからです。
“手に入れていないお金”の状態を望んでいるからです。願望と意識との矢印逆向き状態です。
手に入れていないお金は、例えば友人に財布の中身を見せろと懇願すれば、友人の不振な視線と共に得ることが出来ると思います。

こんな感じで

もともと欲しいと思ったものにはすべからく最初から“既に在る”という性質があるではないか

ということを思った次第です。

ためしに既に持っているセロハンテープを意識してみて下さい。
何故そのセロテープはもう持っていると言えるのか。
家にあるからとかどこぞで自分が買ったからなどは全て無視すると、そこにはただセロハンテープがあるだけです。
モノ自体には持っているとか持っていないとかの性質はもともとついておらず、意識が勝手に持っているか持っていないかの性質を選んでつけているだけです…そして選んだとおりにモノがふるまってくれているだけです。

望んでないものを選んでいる時はネガティブな気分に、望んでいるものを選んでいる時はポジティブな気分になるのでしょう。

如何に今まで≪望んでいないものを望んでいると勘違いしていた≫のか分かるようになりました。

この脳の語彙力では多分今はこれが限界です。
まるで言葉遊びみたいですね。何じゃこりゃ。 ≫



前にも書きましたが、>>649さんの書き込みが間違ってるとか絶賛する書き込みはダメとかそういう事を言ってる訳ではありません。
既にあるに関してはこの書き込み以上の物はない!と絶賛された>>649さんの書き込みを読んで
「じゃあこれを理解出来なければまだその領域に行ってねーって事なんだな」と誤解をしないように、ループしてる人達に向けてこれを書いてるだけです。

ですから、>>649さんの感覚が分かるならそれで良いし、私の感覚でも良いし、それとはまた別の感覚でも良い。何だって良いんですよ、個々の感覚が違うだけで同じ場所なんですから。
達人さんと呼ばれる方々と同じ感覚にならなければ、その領域には行けてないというその思い込みに気付いて欲しい。


本来在るべき場所を思い出しそこに戻るだけ。
それは皆一緒なのに、これだけ様々なメソッドがあり色々な解釈があるのは、それだけ感覚が個々で違うということです。
チケ板だけでもどれだけの方法(メソッド)がありますか?
それらを実践して「分かった!!」となった人達はそのメソッドを推奨し、そして絶賛しています。
けれどあなたには分からない。だから今もループしてるんですよね?
これだけの人が推奨し絶賛してるんだから本物なんだろう。
自分のやり方が間違ってるんじゃないか?こう考えるのは蓋になってるんじゃないか?

このように更なるループの深みに入ってしまう。
『たくさんの人が推奨してるからあなたにとっても真実だ』とは限らないんです。
感覚というのを味覚に置き換えると分かると思います。
どこの店のあのメニューが最高!と、あなたの周りがみんな絶賛していたから
初めてのそのメニューを食べる人達10人ぐらいと食べに行った。
みんな「本当!美味しい!」と満面の笑みで食べてるけど、あなたは美味しいと思えなかった。
けれど、その店はその後もマスコミにも取り上げられ、三ツ星に選ばれたりもして世間では大絶賛の店になった。

あなたの中に残っている真実は何ですか?
”自分には美味しく感じなかった” ただこれだけです。
あなたにとって美味しいと思えなかったのだから、周りがどんなに良いと言っても”美味しいと思えなかった”、ただこれが残っているだけで、あなたにとってはそれが真実です。
「これだけ良いと言われてるんだから、自分の味覚がおかしいんだな」ではないんです。
それと同じで、こうした感覚というのもそれまでのあなたによって変わります。

グルメリポートで「まったりとして」っていうのをよく聞きますよね?
この「まったり」の感覚は、聞いた人が今まで経験してきた事柄によって変わります。
レバーペーストみたいなのを「まったり」だと言う人もいて、ゆで卵の黄身のようなと思う人もいるでしょう。
「いやいや、ゆで卵の黄身はもっそりじゃん。卵で言うまったりなら半熟の黄身だよ」
こう言う人もいるでしょうが、どこまで火が通った物を半熟なのかというのもこれもまた人によって違います。

あん肝みたいなといわれても、あん肝を食べたことのない人には分からない。
経験したことのないものは頭で考えても想像出来ないのです。
そして、経験した事のある事柄の中から瞬時に「そうか、あ~いうのを言うんだな」と自分の中に”○○=△△のようなもの”と位置付けてしまいます。

つまり”愛”というのも人それぞれで、その人が経験した来た事柄の中で
「これが愛ってものなんだろう」と認定してしまったものを愛だと呼びます。
その人が位置付けした「これが愛」という部分を感じられなければ
みんなが言ってる「愛に包まれてるその場所には行けてないんだ」と思い込んでしまう。

あなたの中にしかない過去の出来事によって、どういったものをペタペタと貼り付けて来ているのかは味覚があなたにしか分からないように、感覚もまた他の人には分からないのだから、あなた自身でそれに気付く必要があるし、またそれらによって作り上げているあなたの感じる感覚というのもあなたにしか無いものなんですよ。

だから他の方と全く同じ感覚にならないから間違っているとか、まだ到達してないとか、そういったことも考える必要はなくて、あなたの中で感じる感覚を素直に見つめ、気付いて欲しいと思います。

誰の中にでもある”気付く意識”。それは、いつ、どんな時でもあなたの傍にいます。
その意識に気付いているか気付いてないか、それだけの違いなんです。
気付くことが出来たのであれば、それに全てを委ねていれば良い。

どんなに肉体のあなたが悪いと判断してしまう出来事も、静かに、ただただ流れて行くから抗うことなく、そのまま流れていくのを見てれば良いんです。

感覚的なことなので、どの書き込みもそれだけが本物と鵜呑みにしないであなたの中にある感覚を信じ、見つめてください。もちろん、私の書き込みも鵜呑みにしないでくださいね。

長文&連投、失礼しました。



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