*108以外*質疑応答【5】
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913 :もぎりの名無しさん:2011/10/06(木) 06:34:06 ID:GyoR3Hw60
おいら画家さんのまとめで認識変更出来たんだけどね。
この部分で役に立ちそうだったら考えてみて下さい。
497 名前: 画家 ◆utHkaCg902 [sage] 投稿日: 2010/03/15(月) 16:56:09 9HeHyl4g0
私たちの気分が落ち込む構造はその落ち込みが「もっともなこと」による現象ではなく、そうではないことが本来の状態、だからその違和として落ち込みを体験しているのです。
その落ち込みとは「限定、制限」を真に受けたときに来る。
次回落ち込んだ時自分が何を信じているか観察するとよく解ります。
必ず何かを制限している。制限を真に受けている。
自分は被害者で、ダメで、この先状況は一向に変わらないのだとご丁寧に思い込んでいる。
「限定、制限」という概念そのものが本来のフォームとは違うから落ち込んでしまう。
その概念が、ある大きな力に対する「抵抗」として働いている。
私たちは何かやらなければ何かを実現できないと頑なに考えている。それが当たり前だと。
働かざるもの食うべからず。行為こそ全てだと。
因果律を金科玉条に掲げている。それがお互い様なのです。
しかし実はどうもそうではなさそうだ、全く真逆だよってのがLOA、108式、その他、ある場所からの情報として示されてきたものです。
だから逆に力を抜こう、リラックスしよう、気分良くいようというのは、意図を活性する働きは別の領域にある、
それを遺憾なく起動させるために出来るだけ抵抗を外そうといった発想です。
何もやることはない、逆になにかやることが願望の動きを邪魔している。
ある情報では「幸せに屈服すること」を薦め、またある情報では「今ここでやることを一切やめることだ」と。
私たちの概念と逆さまな世界が実はそうだったのだ、と。
「なんだ、最初から安心しかねえのかよ!」 「だったらここで安心してていいんだ」
そんな認識になる。またそれを疑うような<錯覚>が来てもいいのです。
体験が認識を深めてゆく。だから何が来ようが気にすることはない。
落ち込もうが泣こうがなんら気にすることはない。
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GyoR3Hw60さん
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